« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

いざ!グラナダへ

5月末で家具学校のコースが終わり、長い長い夏休みに入った。

スペインでは6月から3ヶ月の夏休みが一般的。会社でも8月1ヶ月夏休みというところがほとんどだ。

私はコース終了前から先のことに不安を感じていた。それは、日本に帰ること。そのころの日本はバブル崩壊後の非常に厳しい時代だった。スペインにいても、それはいつも自分の中での不安だった。

日本に帰って仕事見つけられるかなぁ・・・・とか、スペインで学んだ何かを行かせる仕事に就けるかなぁ・・・とか、漠然とした不安。本当なら、スペインの家具メーカーで数年働きたい気持ちだった。でも現実はそんなに甘くない。

そこで、スペイン・VALENCIAで9月に開催される国際家具見本市に参加したいと考えた。その見本市はヨーロッパ3大見本市の1つと言われていて、毎年多くのインテリア関係者が集まる。私はそこで家具ビジネスの現場を見たかったし、どうにかしてうまく仕事探しのきっかけを掴みたかった。

そこで、手紙作戦。

手当たりしだい、家具メーカーに「見習いで家具生産の現場を勉強させてくれ!!!」という手紙を何十通も書いた。まぁだめもとで。

するとある1つの会社が返事をくれた。ウチで見習いをしてもいいよと。

信じられない・・・・。東洋人の小娘の手紙を真剣に受け取ってくれ、研修のチャンスを与えてくれる。やっぱりスペインはあったかい。ハートがある国だ。

研修の時期は9月の3週間。会社で家具作りの現場、営業の現場をみて、見本市をスタッフとしてやり終えるという内容。わくわくした。とにかく早く行きたい!!!

でも今は6月。あと3ヶ月もある。

スペイン人なら夏の3ヶ月間、バカンスをたっぷり楽しむんだろうけど、そこは日本人。かなりスペインになじんだ日本人とはいえ、悲しいかなやっぱり3ヶ月も遊べない。

そこで、新たな修行先を探すことにした。

マラガから車で2時間弱のところにあるグラナダ。イスラム文化が色濃く残る街。有名なアランブラ宮殿があるところだ。

その街で名産のタラセアというおみやげ物を作る工房に修行させてくれと乗り込んだ。アランブラ宮殿に続く坂にあるおみやげ物屋さんだ。親日家の店主のお店だから、日本人のお客さんがいっぱい。そこでは、店頭でそのタラセアを実演で作っている。

親日家の主だけあって返事はOK。

スペインではこういうことがよくあった。直接交渉すればどうにか道が開けるということが。やっぱりお国柄なのか・・・。

さっそくグラナダに部屋を借り、私の3ヶ月間の修行生活が始まった。

タラセア。やってみるとかなり奥が深く面白い。日本にも箱根に寄席木細工があるが、それと同じようなもの。でもデザインはアラブのデザインだから、よく見ると数学的なのだ。こつを掴むと、私でも店で売る商品を作れるようになった。

内陸のグラナダは夏の暑さが半端ではない。今年の日本の夏以上だ。湿度はないが日差しが痛いくらいだ。だから、一般の人は夏休みと共にグラナダから姿を消す。私はその暑いグラナダに乗り込んで、毎日毎日お土産屋さん店先でタラセアを作る夏を過ごした。

その時作ったお盆は、今も大切にそして日々の生活で愛用している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アーモンドの木

私はスペインに渡って、アンダルシア地方に色濃く残るアラブのデザインや色使いにすごく影響を受けていた。マラガもアラブの面影や文化が街中にあふれている。

街の中によくある「teteria」(テテリアといってお茶がメインの喫茶店)はアラブそのもの。店の雰囲気や音楽、香りもアラブそのものだ。

私がお気に入りでよく飲んでいたお茶は「te marroqui」(モロッコのお茶)。グリーンティにミントの葉がたっぷり入って甘いお茶。ちょっと甘すぎるかな・・・って感じだけど、ミントの香りがお茶にぴったり合って、その甘さもなんだかほっとする味わいなのです。それは、スペインという異国でいつもピーンと張り詰めている緊張がほんのちょっとほぐれる貴重な空間で味わいだった。

日本人であるからか、お茶屋さんテテリアで過ごす時間はすごくほっとできる時間だった。薄暗くろうそくの明かりだけのすごく奥まった店の中は、日本と通じるものを感じていた。アラブと日本、やっぱり東洋とイスラムは文化で繋がっているのかな。

私が作品でやりたかったのは、アラブのタラセア(寄席木細工)のデザインを天板全面に施すこと。でもペイントはラモンの言葉でやらないことに。じゃ・・・どうする・・・?ってラモンと話し合うと、彼はアーモンドの木を私に見せてくれた。

アーモンドの木はアンダルシアにはたくさんあるおなじみの木らしい。私は初めて見た。クリーム色のすごく美しい木。ラモンが譲ってくれた胡桃の木のダークな木肌にすごくぴったりとくる。でもその木をどうするんだ?

良く分かっていない私に、ラモンは

「タラセアのデザインを天体全面に彫りこんで、そこにこのアーモンドの木を埋め込んで模様を作っていくんだ!」

全面を掘り込む!!!!

想像しただけでもすごく大変って事は十二分に分かった。堅い木を1センチ幅でアラブ模様に掘り込んでいく。すごく手の込んだデザイン画を仕上げていたので、その作業量は・・・・。そこに1センチ幅にきったアーモンドの木を埋め込んで、固めて、表面サンダーかけて・・・と、山のような作業量だ。コースが終了するまでに完成できるのかさえちょっと不安になる内容だった。

でも私は俄然やる気になった。

「やりたい!それでやる!!」

ラモンにそう答えると、彼は「がんばれ」と一言。それからアーモンドの木を1センチに切ってくれて手渡してくれた。

それから数ヶ月、私はただひたすら掘り込む作業を続けた。いつもより早く工房に行き、本科の生徒さんたちにまぎれて、隅で作業することも。そんな私を本科の学生さんも応援してくれて色々アドバイスをしてくれた。あったかい人たちに支えられて、私の最後の作品は無事完成!

002

小さなサイドテーブル。日本に送ることを考えて、サイズは小さめに。足は取り外せるデザインに。

001 天板のデザインはこんな感じ。

クリーム色はアーモンドの木。このデザインはアラブの伝統的なものの一つ。よく見ると、すごく幾何学的なのです。

これを作り終えて、私は美術学校の1年間のコースを終了した。

教官ラモンや同じコースの仲間たちに本当に大切なことをいっぱい教えてもらった。ラモンにとっては、初めての東洋人の教え子だったらしい。

作品を作り終えて、コース最後の日、初めてラモンが私の頑張りをほめてくれた。私はラモンに素材を生かす・素材を見ることの大切さを教えてもらった。ありがとう。

感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

家具職人3代

ようやく国立美術学校「escuela de arte」に入学。

本科は5年間のコースで、私が入学を許可されたのは1年間の社会人コース。夕方から3時間の授業だ。日本で言えば、夜間学校って感じかな。

社会人コースらしく、集まった仲間たちはそれぞれ様々なことをやっている面々だった。

そこに東洋人の女の子(女の子という年齢ではないのだが・・・・)がひとり。私は小柄なのでかなり幼く見えるらしく、担当教官のラモンはかなり複雑な顔で、つたないスペイン語(本人は流暢にしゃべっているつもり)で自己紹介をしている私を見つめていた・・・。

正直まいったなぁ・・・という顔。

そのときは、「なんて失礼な!!」とひとりメラメラと怒っていたのだが、今となって考えると、スペイン語も話せるようになったとはいえ専門用語の一つも分からない小娘がいるのだ。教官の戸惑いも今となっては痛いほど分かる。良く面倒見てくれてと感謝の気持ちでいっぱい。

「とんかちもってこい!」「かんなでここのめんどりを」「のこぎりで蟻組みを」などなど、ラモンの言うことに全く付いていってない私は、道具部屋の前でいつも何を持って行ったらいいのか分からず、道具をにらみつつ周りの人が来るまで動けない日々。

ただスペインって国はすごく懐が深い。

人たちは温かくそして時間にも寛大だ。

わたしがいることでなかなか進まない授業なのだが、そんなことは全く気にせず、みんなで私の世話をやいてくれるし、何か一つ理解が出来たら、「すごいじゃないか!ひとりでできたのか!!!!」とハグハグ付きの大絶賛。

そんな風だから、私も自分の不出来を全く気にすることもなく、毎日充実の日々を過ごしていった。

そんな時間が重なっていくうちに、担当教官のラモンの視線にもあったかいものを感じ始めた。私のとりえは時間がルーズなあの国で、授業開始10分前には準備して待っていること。それと1日も休まず通っていたこと。

そんな日々が続くうちに、ラモンと世間話が出来るまでになった。

ラモンはアンダルシアの内陸にある村の出身で、お祖父さんもお父さんも家具職人という家で育ったという。家具職人3代。生まれながらにして家具職人になることが当たり前だったし、それに全く疑いもなく過ごしてきたこと・・・・、そんなことをぽつりぽつりと語ってくれるようになった。

ラモンから見ると、自分の国を離れ遠くスペインまで家具の学校に通うためにやってきた私の生き方などは、なかなか共感できなかっただろう。

私はそんな口下手でぶっきらぼうなラモンにすごく大切なことを教えてもらうことになる。

それはコース終了のために作品を一つ作ったときのこと。

私はその前にも小さな飾りだなを作っていた。日本にもって帰るため大きな作品は作れない。ちいさなお茶の道具を入れる飾り棚を作った。木で作ったその作品に私は全面ペイントを施した。

それはスペインに行って学んだインテリアデコレーションの技法の1つ「イミテーションペインティング」という技法。向こうは家の内装などを自分たちでペイントしてリメイクする。その技法に大理石風ペインティングや木にみせるペインティングなどがあった。イミテーションなんだけど、日本では見たことがなかったインテリアデコレーションにすごく惹かれていた時期だった。

せっかく木で作った作品をべたべたと塗りたくる私をラモンは評価してなかった。

最後の作品を作る材料を買いに行くことで悩んでいると、ラモンが自分の工房にある木を売ってくれることになった。それは高級家具に使われるヨーロッパ胡桃の木。ウォルナットだ。ものすごく滑らかで緻密な木肌が美しい。堅い木なので加工も大変だ。私はその木でテーブルを作る予定で、テーブル天板全面にペイントを施す予定だった。

私の設計図と計画を見てラモンが一言。「この木の美しさを最大限に生かしたらどうだ」

素材の美しさを生かす。

私は目が覚めた。スペインで見た技術にばかり気をとられていて、素材を見てなかった。ラモンが私に譲ってくれた木をみると、本当に美しい。素材の持つ美しさ。私はその時本当に大切なことを教えてもらった。

翌日ラモンに新しい設計図とペイントではない天板の加工を相談した。ラモンはぶっきらぼうに、でも熱心に私の作品を考えてくれ、とんでもない提案をしてきた!

続きはまた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

同居人たち

奇妙な4人での生活は日々驚きの連続。

まず彼らは留学生ではない。

スペイン人のエヴァは地元マラガ出身、完全なネーティブだ。彼女は地元の小学校の臨時教師だった。私にとってはスペイン語の先生と同居している生活。日々の生活で彼女からありとあらゆること(スペイン語はもちろん)を教わった気がする。スペインでの飲み会(フィエスタ)は深夜1時を回ってからようやく始まることも彼女たちとの生活で分かったことの一つ。

なんでも知っててすごく頼りになる彼女(ゴット姉ちゃん!って感じ)だったが、家事は全く出来なかった。料理は最悪・・・。共同生活だからみんなで料理もしたりしたが、彼女はもっぱら食べる&お喋り専門。

他の同居人のブラジル人のレナト・アルゼンチン人のルイス(共に男の子)の方が、ずっと料理が上手かった。レナトなんてプロ級の腕前で、休日のお昼はフルコースでもてなしてくれた。

このレナト、誕生日が私と同じ日だった。すごい偶然。日本人でも同じ誕生日の人なんてそうそう巡り合えないのに、スペインマラガで同居することになった人が同じ誕生日なんて。レナトはスペイン・ブラジルのハーフで完全なバイリンガル。ルイスももちろんスペイン語ネーティブ。3人の先生に囲まれた生活は1年半続いた。

レナトは芸術家を目指してスペインに来ていた。家でも制作活動を行っている。なんだかわけのわかんない作品もあったが、日々何かを生み出そうとしている人たちと色々なことを感じながら生活する日々はものすごく刺激的だった。私も家具学校に入学するまでの間、スペイン語の学校に通いつつ家で制作を始めた。家具なんて大きなものは作れないから、小さな作品を作り始めた。出来上がった作品はなんか良い感じに思えた。色使いやデザインがスペインマラガに色濃く残るアラブを感じさせるものだった。

005

004

家で作っていた作品たち。アラブっぽいデザインと色使いのフォトスタンド

同居人たちに絶賛されていい気になった私は、その作品を街の雑貨屋に売り込みに行った。

Photo

006

003

雑貨屋さんに持って行った箱。

あのころはアラブっぽいデザインと色使いにすごく惹かれていました。

突然現れた日本人の女の子が下手なスペイン語で喋る事を真剣に聞いてくれ、その作品を店で売ってくれることになった!日本ではたぶんありえないよね・・・。

1200ペセタ(当時はユーロではなくペセタ・日本円で720円くらい)と値段をつけて店に置かれた箱(宝物入れのような箱に全面デザインで彩色したもの)を、1週間ほどしたころ、誰かが買ってくれた。

嬉しい・・・信じられないけど嬉しい!!!

初めて手にした作品を売って得たお金800ペセタ。

すごく有難くて神々しくてしばらく使えなかったなぁ・・・。

同居人たちに早速報告。彼らもすっごく喜んでくれた。

そんな日々を4人で過ごしながら、家具学校入学の秋がやってきた。

私は絶対入学しなきゃ!!!という強い信念を持って、毎日学校の事務局へ通い続けた。スペインは時間がのんびりした国。いつ願書受付なんて決まってない。校長のOK一つで大丈夫って感じの国。だからタイミングを逃すともう定員一杯で入れないって事も日常茶飯事。誰に聞いても本当のことは誰も知らないってお国柄。だから自分で動くしかない。

私は校長に呆れられるほど毎日学校へ通いつづけ、事務局員に顔を覚えてもらい、半ば強引に入学許可を貰う事に成功し、10月より国立美術学校の社会人コース・家具職人コースへの入学を果たしたのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スペインへ渡って・・・2

スペインでの生活が始まった。

地中海コスタデルソルのビーチに面した最高の年代物のピソ(マンション)はキッチン・リビング以外に4部屋あり、複数の学生でシェアーする。共同生活だ。

言葉が全くしゃべれなかった私はかなりの覚悟をしてそこへ乗り込んだ!でもそこには日本人ばかり3人。「あれっ・・・?」

ほっとしたような、ちょっと期待はずれのような不思議な感覚。

事情が良く分からなかったが、話を聞いてみると、そのピソの住人は日本人の女の子1人で他2名の大学生は帰国前の居候だと分かった。ちょうど入れ替え時期だったようで、その日は日本にいるかのような家も、翌週にはヨーロッパ各国からの学生で急に賑やかになった。イタリア・ドイツ・オランダ・スイスなどなど。どの子も私よりかなり若く高校生や大学生といった面々。でもスペイン語はすでにぺらぺら(に見える)。私から見ると「わざわざ語学学校行く必要ない・・・」ってひがみたくもなるくらい流暢に操っているのだ。ヨーロッパの人たちのとっては、数ヶ国語を操ることはごくごく当たり前のことらしい。

アジア人の私にとってはスタート地点がすでに違うのだ。

そのピソで4ヶ月の語学学校生活が始まった。最初の1ヶ月は偶然同じピソになった日本人の女の子に助けられ、買い物や銀行口座の開き方、近所でおいしいバルはどこか、スーパーや市場での買い物術などなど、生活に必要なあらゆるテクを伝授してもらった。彼女と出会えなければ、私のスペイン生活はあんなに順調にスタートしてはいなかったはず。

運命の出会い1人目。

1歳違いの彼女とはあらゆることを話し合った。夜が長いスペインで、おいしいワインと生ハムをつまみながら人生観やこれからの事まで。

彼女も帰国し、4ヶ月の語学学校のコースが終わると季節は冬12月。どうにか片言でスペイン語が話せるようになり、街角のママンたちが捲し立てる早口スペイン語(スペイン人はすっごい早口だ!)が、少しずつ理解できるようになってきた。

でも美術学校の入学は10月。それまでまたないといけなかった。そこで国立の語学学校の外国人コースへ移った。それに伴って家も探さないといけなかった。通いなれた語学学校前の住み慣れた広場PLAZA DELA MERCEDEZ(ここはスペインの画家ピカソの生家の前にある広場)近くで家を探した。探せばどうにかなるもんで、毎日通っていたバルのすぐ裏通りにすごく素敵な小さな家を見つけた。

まだ作りかけていたその部屋にどうしても住みたくて大家さんと交渉。その部屋が完成するまでその部屋の上の階に転がり込むことになった。

そこには3人が住んでいた。スペイン人のエヴァ、ブラジル人のレナト、アルゼンチン人のルイス。突然訪問した小さな東洋人をすっごく大きな心で受け入れてくれた彼らとの共同生活が始まった。

運命の出会い2回目。

この出会いは本当に素晴らしかった。それぞれ国籍も違う4人が本当の家族のように生活していた。結局私は借りたかった部屋が完成しても彼らとの同居生活を続けたのでした。

そして彼らとの生活によって、私の美術学校への思いはますます膨らんでいったのでした。

続きはまた!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スペインに渡って・・・

今日から二学期が始まった。3人の子供たちはそれぞれ小学校や幼稚園での生活に意気揚々と走り出した。私も今までの少し朝寝坊の毎日から気合を入れて朝起きる生活へ。まだエンジンはかかってないけど頑張るぞ!

ちょうど始めてスペインへ渡ったのも8月末だった。13年前の夏の終わり。

1994年の8月、それまで5年弱続けてきたステージでの踊りの仕事を辞め、スペイン・アンダルシア地方のマラガという街に、たった一人で降り立った。

飛行機から見たスペインの大地はどんどん色を変えていく。北部は緑豊かな大地が広がり、中央部は乾いた土の色、そして南部・アンダルシア地方に入ると点々とオリーブの木がポコポコと波を打って連なり、海沿いのコスタデルソルが近づくと白い街が点々と見えてきた。

私はコスタデルソル=白い街というイメージだった。

でも予想に反し、降り立ったマラガの街は白というよりもイエローだった。ちょっと優しいアンダルシアイエロー、とにかくその色が凄く第一印象に残った。

その優しい黄色はスペインのインテリアデコレーションやファブリックにも良く使われていて、私にとっては凄く地中海を感じさせる色。思い出のマラガを思い出させてくれる色。

さて、スペイン語が全くしゃべれずマラガに着いた私は、まずは日本から予約しておいた語学学校へタクシーで向かった。ところがその学校はしまっていて誰もいない・・・・。

どうしよう・・・でも、何をどうしたらいいかさっぱり浮かんでこない。

その学校を通して家も借りていたから、家の鍵をもらえないと私は行くあてもない。親切で世話好きなスペインのママン(おばさまがた)が取り囲んでなにやらまくし立てるけど、何がなんだか何言ってるんだかさっぱり分からない・・・。立ちすくんでる私にタクシーの運転手さんが話しかけてくれ、どうにか英語が話せるホテルへ連れて行ってくれた。

到着早々色々トラブルはあったけど、翌日ようやく学校と連絡がとれ、無事家の鍵を受け取ることが出来た!!!(涙・・・)

で、どうして到着した日に誰もいなかったというと、単にその日が週末の土曜日だったから。案内の手紙にちゃんと書いてあったのに、感覚で行動する私はその文章を訳してもなかったのでした・・・・・。でもどうにかなるもんだ。

借りた部屋は同じ語学学校の学生とのシェアー。そのピソ(マンションをスペインではピソという)は世界のリゾート地・コスタデルソルのマラゲッタのビーチに面した最高の立地。築何十年・・・?って雰囲気は醸し出していたけど、窓を開けると一面青い海・天気がいい日はアフリカまで見渡せる部屋から私のスペイン・マラガでの生活はスタートしたのでした。

でも私の目標は家具修行。語学留学ではない。

私が目標としていた国立の美術学校の家具職人コースにどうにか入学できるまで、約1年かかったのでした。でもこの1年間の間に、私は様々なすばらしい仲間たちに出会って、助けられて、スペインでの生活を送っていくのでした。

続きはまた・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »